概要
仁寿2年、現界と幽界の橋渡し(閻魔大王の副官とも言われる)、小野篁(おの の たかむら)が桜の大木を用いて六体の地蔵菩薩像を彫ったと言われるのが「六地蔵」の起源とされる。篁は地蔵菩薩像を大善寺(当時は紀伊郡木幡(こはた)の里。現在の京都市伏見区)に祀った。後に、白河天皇の勅命により、平清盛が疫病退散のため保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所(下記)にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置。
奈良街道、伏見 大善寺
大坂街道、鳥羽 浄禅寺
丹波街道、桂 地蔵寺
周山街道、常盤 源光寺
鞍馬街道、賀茂 深泥池畔(現在は「上善寺」]
東海道、山科 徳林庵
それら六体の地蔵菩薩像がいずれも京都にあるので六体まとめて「京都六地蔵」と呼ぶ。
室町時代、庶民に地蔵信仰が広まると、京都の街道口に安置された上記六体の地蔵菩薩像を巡拝して家内安全、無病息災を祈る「六地蔵巡り」が始まり、大善寺が「六地蔵巡り」の根本道場とされた。地蔵信仰は最も広く全国に広まり。日本全国に、多くの「6地蔵の聖地」「巡礼地」がある。
大善寺
京都府伏見区にある「阿弥陀如来」を本尊とする、浄土宗寺院である。
京阪電車の「六地蔵駅」の近くにある。この近くにはJRの「六地蔵駅」も存在する。
宇治の「六地蔵」
京都府宇治市にある地名「六地蔵」は、この大善寺に因んだものである。今でこそは「伏見区」と「宇治市」とは別れているが、この両者は隣接している。
霊界の入り口
霊界の入口と古くから言われる京都。千年前から、百人一首にも登場する 小野篁(おののたかむら)は、霊界の使者とも言われた(閻魔の補佐官とも伝承されている)。その小野篁が、地蔵を奉安したのが京都の『六地蔵』(由来)という場所である。そこで、千年後に、精神異常者が若者の『夢と希望を描く』京都アニメーションを放火。多くの方々が死傷した。なんということだろうか。
火は心理学的に怒り(摩擦)を象徴する。人間の霊性を忘れ1日2千人の胎児をバラバラに切り刻んで惨殺し続けている日本での状況。お腹から出たら殺人で、お腹の中では惨殺無罪。それは違うだろう。マザーテレサは『胎内殺人』と呼んで嘆いた。赤ちゃんは受胎した時点で、尊い『いのち』である。立派な『いのち』である。いのちは尊い‼️いのちは輝きである‼️それを人為で消してはならない。自己嫌悪と自己懲罰感情から誘発される錯誤行為から『尊い人のいのちを奪う』愚かなる行為。殺人。堕胎。それらの象徴的事象であると、なんとも言えないつらい悲しい思いであった。地蔵に込められた生命尊重の声を聴け‼️もっともっと、『いのちの本当の尊さ』を伝えることが大事。『いのちを拝むこと』が大切。この世に、一人も不幸な人がありませんように。全ての人が、笑顔で満ち満たされますように。今日も、いのちの限り、全身全霊にて祈りたい。大熊良樹拝
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